はじめに
今日、「地域に開かれた学校づくり」が求められ,地域と学校の連携を深めるための方策がいろいろ試みられています.埼玉県内の多くの学校では,学校の教育資源を地域に活用する取り組みとして学校開放講座が開講されています.講座は学校の持つ教育資源に基づいた多くの分野にわたりますが,自然科学系の講座は少なく,特に継続的に実施されている例は多くありません.
浦和西高校は,東の中川低地と西の荒川低地に挟まれて,埼玉県の平野部に浮島のように存在する大宮台地の南部にあります.荒川支流の芝川の形成した沖積低地に面した台地の縁に学校は位置し,台地から芝川低地に降りる校地の北側斜面下には見沼代用水西縁が流れています.台地の縁はいくつもの小さな谷により開析され,学校の周囲に坂の多い起伏に富んだ地形が広がっています.
芝川低地は江戸時代以降新田開発された場所で,1970年代までは水田が広がり,「見沼たんぼ」として広く一般に知られています.台地の上や低地へ降りる斜面には,都市化が進んだ首都圏には珍しく,雑木林が残されています.
浦和西高では,1999年度から地域の自然を主なテーマに,「浦和西高開放講座(以下,開放講座)」が毎年継続して開講されています.開放講座は,地域住民,西高PTA会員などを対象に,地域の自然の成り立ちを知り,人々の生活と自然の関わりについて理解を深めることを大きな柱にしています.
また,開放講座で学んだ受講者を中心に市民ボランティア「浦和西高斜面林友の会」が組織され,浦和西高や地域の自然を保全する取り組みも始まっています.
恵まれた環境をを活かした授業
本校の教育課程では,1年生で「理科総合B(2単位,主に地学分野)」と「生物T(2単位)」,2年生で「物理T(2単位)」と「化学T(3単位)」が必修で置かれています.1・2年次に全員の生徒が,理科の4分野を学習するようになっています.3年生では,必修理科選択として「物理U」,「化学U」,「生物U」と「地学T」から1科目(3単位)を学習します.さらに,選択科目(4単位)に必修理科(3単位)と同じ4科目が置かれ,理系進学者にも対応しています.
このように総合的に理科を学ぶのに恵まれた環境の中で,地学分野の学習(「理科総合B」と「地学T」)では,大宮台地や芝川低地(見沼たんぼ)などの地域の自然を教材として取り込んだ授業を積極的に展開してきました.
日常の授業で,台地と低地の地形の観察や台地を作るローム層の観察などの野外実習が可能です.野外実習で生徒自身が観察して,採取してきたローム層の鉱物観察や芝川低地(見沼たんぼ)の沖積層から採集した珪藻化石の観察など,学校周辺の自然に実際に触れながら地域の自然の成り立ちを学ぶことができます.
また,江戸時代以降の芝川低地における新田開発と見沼代用水の開削,1958年
の狩野川台風による水害で見直された「見沼たんぼ」の遊水池機能とその後の開発規制(「見沼三原則」),あるいは地域に残されている見沼の竜神伝説などを通じて,地域の自然と人々の生活や文化が深く関わってきたことを理解することができます.
3年生の選択地学では,1学期に地域の自然の成り立ちを総合的に学習した後,生徒各自がテーマを設定してリポートを作成してまとめます.「見沼と暮らす〜共に生きる〜」や「見沼の目に見えないものへの思い−伝説・信仰−」のような人文科学的なもの,「そうだ,見沼に行こう」,「見沼の歴史と環境」,「見沼の開発」などの社会科学的なもの,あるいは自然科学的な内容の「野田のサギ山と今の見沼の自然」や「関東圏の地学知識の考察とまとめ」など,生徒の興味や関心は多岐にわたります.毎年提出されるリポートは次年度の授業に反映され,内容に厚みを加えてゆきます.
このような日常的な地域の自然の研究や教材化の蓄積の上に,開放講座は1999年度に始まりました
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開放講座の流れ
1997年,埼玉県の防災施策のひとつとして,地域の防災拠点施設となる合宿所兼格技棟と太陽光発電施設が本校に完成しました.1997年と1998年にこれらの施設を地域住民に公開する見学会が開かれました.あわせて地域の自然と防災の観点から、1997年に「浦和の地盤と地震災害」(堀口萬吉 埼玉大学名誉教授),1998年に「浦和の地震動と震害予測」(角田史雄 埼玉大学教授)の講演が行われました.
ここには,浦和西高校が地域の防災施設であるとともに,防災意識の背景となる「地域の自然を理解する情報と学習の拠点」として位置付ける視点があります.
それまでの10年以上にわたる地域の自然を活かした理科(地学)の授業実践の蓄積と地域の防災拠点としての新たな位置付けを受けて,浦和西高校の教育資源を地域に還元することを目的に、地域の自然を地学的視点から総合的に理解する「浦和西高開放講座」が1999年に始まりました.この開放講座は次年度以降も,受講者の継続を望む強い声と本校後援会による財政的支援により毎年継続されていて,今年2005年で7年目を迎えます.
開放講座の内容
本校の開放講座の柱は,「浦和西高周辺の地域の自然を総合的に理解する」ことです.現在、私たちが目にする自然の姿を立体的に知るとともに,過去から現在への時間の流れを加えた変化を読み取り,地域の自然のダイナミックな移り変わりを理解しようとするものです.
地形や地質、あるいは気候・気象などの地学的視点は,地震や台風などの地域の自然災害を理解するために大切な要素であり,地域の農業や産業などの成立とも深く結びついています.人間の生活や活動が自然に働きかけ,その影響を受け,今日の姿に変貌してきました.
講座では座学に偏ることなく地域の自然に実際に触れことを大切にし,本校で行なわれている授業の実践と連携しながら、地域の自然の成り立ちを読み取り,人々の関わりを総合化するように構成さ
れています.
第1回(1999年度)「見沼たんぼの自然史」
地域の自然をテーマにした開放講座の始まった年です.「見沼たんぼ」と「大宮台地」を地学の視点から総合的に理解する講座でした.
明治の迅速図,大正,昭和,平成の地形図を利用して,見沼たんぼの土地利用の変遷とその背景となる農業や治水事業の関係を扱いました.大宮台地と見沼たんぼの地質を資料から学び,巡検の野外観察で台地をつくるローム層の観察を行いました.
また,校外の講師を招き,「地域に伝わる竜神伝説」(宮田正治氏,見沼文化の会代表),「遺跡と自然」(堀口萬吉氏,埼玉大学名誉教授),「見沼たんぼの自然保護活動」(白井法氏,さいたま緑のトラスト協会)の講演を行い,地域文化と自然の関わりについて考えました.
第2回(2000年度)「見沼たんぼを巡る自然」
前年度の講座の内容を発展させ,地域の自然を特徴付ける低地と台地の成立過程を柱にしました.
坂の多い地形は,気候変動に伴う海水準変動の影響を強く受けて形成されてきました.学校の北側に広がる「見沼たんぼ」をハンドオーガーでボーリングし,地下の地層の観察と採集を行いました.「見沼たんぼ」の地下の地層から得られた珪藻化石を観察し,産出深度により淡水と海水の影響の違いがあることを確認しました.およそ6000年前の縄文海進のときに、この地域の低地が奥東
京湾の入り江だったことを理解することができました.
この年から生物の教員も講座に参加し,生物学的視点からも地域の自然を理解できるようにしました.気候変動の影響は,見沼たんぼ周辺の植生の変化からも理解することができます.コナラやクヌギなどを主体とした北方系の落葉広葉樹の雑木林が広がっていた、台地や斜面に,縄文時代以降,気候変動に遅れて南方系の常緑広葉樹が雑木林に進出してきました.これが関東地方南部の雑木林における植生変化の一般的な傾向です.
江戸時代以降,この雑木林の落葉広葉樹の落ち葉は堆肥として農業に,木材は薪炭材として燃料に活用されてきました.落葉広葉樹の雑木林を生活に利用することで、人の管理が入り,常緑広葉樹の侵入を防ぎ,埼玉県内の台地上に広がる「武蔵野の雑木林」の景観が保たれてきました。
第二次世界大戦後,さいたま市域の都市化に伴う開発により,雑木林の多くが姿を消していきました.台地上には常緑広葉樹の屋敷林がわずかに残され,かろうじて斜面に雑木林(斜面林)が残されています.この斜面林も地域の農業の衰退とともに人の管理がおよばなくなり放置され,落葉広葉樹の高木
化と南方系の常緑広葉樹の侵入により荒廃が進んでいます.
この年の講座では,地域の自然の形成から地球規模の気候の変動を読み取ることができ,そこに人々の生活が関連していることを意識することになりました.
第3回(2001年度)「見沼たんぼの自然と文化を探る」
地域の自然と深く関わってきた農業に焦点を当てました.地域の農業の典型的な作物は米でした.最近のイネの研究をもとにした中国における稲作の変遷,日本の縄文時代から弥
生時代にかけてのイネの伝播と大陸との交流について考えました.また,「見沼代用水」として知られる農業用水路の成り立ちについて整理しました.
さいたま市のある大宮台地の西に,荒川低地を挟んで広がる武蔵野台地の三富地区では,台地上の落葉広葉樹の雑木林と耕作地の間で循環型農業が行われています.今日でも,雑木林は人の手により管理され,「武蔵野の雑木林」の景観を残しています.三富地区の農家の案内で三富地区の耕作地と雑木林を巡検したところ,開放講座受講者が抱いていた「見沼たんぼには,多くの緑に象徴される豊かな自然が残されている」という認識に変化が現われました.「人が管理することで維持される里山の自然が,見沼たんぼ周辺の本来の姿である」と、考えるきっかけになりました.
第4回(2002年度)
「見沼たんぼの自然と縄文文化の関わり」
それまでの講座を通じて,地域の自然の成り立ちを気候変動と関連付け,植生変化を生物学的視点から総合化してきました.
芝川低地と大宮台地の自然は,見沼たんぼに代表されるように,江戸時代以降人々の生活と深く関わってきました.更に遡ると,台地の上や荒川低地の自然堤防跡には,縄文時代や弥生時代の遺跡が多く見つかっています.本校の敷地や周囲に残された畑からも,縄文土器の破片が現在も発見されます.そこで,地域の自然と人の関わりを体験する試みとして,本校の美術教員の指導で七輪陶
芸に挑戦しました.これまでの開放講座で実施した野外観察から、身近な台のローム層最下部の粘土層と見沼たんぼの地下の粘土を利用しました.採集した粘土を水肥したり,配合する砂の量をいろいろ試し,縄文土器に残された獣毛や植物繊維の痕跡を手本にして,犬の毛を混ぜ込むなどの試行錯誤の上,ぐい飲みを作成しました.植え込みの植物の葉を下に敷き,粘土の固まりを回転させたことから,ぐい飲みの底に葉脈の刻印され,「葉紋土器」と名付けられました.それはまさに,縄文人が試行錯誤を繰り返しながら土器を作り上げていった過程を追体験するようでした.
この年は、犬井正獨協大学教授(農業地理学)と佐々木寧埼玉大学教授(植物生態学)を招き,里山の自然が地域農業や生態系に果たす役割を学びました.さらに,県立自然史博物館の太田和夫学芸員の案内で,狭山丘陵に広がる「県立さいたま緑の森博物館」の巡検を行い,里山の生態系を観察しました.
この年の開放講座が終わる頃には,地域の自然は学びの対象であるとともに,受講者自らが関わりを持つ対象へと変化してゆきました.
第5回(2003年度)「見沼たんぼと大宮台地の自然」
1999年に40名の受講者で,開放講座は始まりました.受講者数は年々増え,この年には,継続的な受講者20名と新規受講者50名で計70名になりました.前年の講座あたりから受講者間の知識や経験の差が目立ち始めていました.そこで,過去4年間の講座で扱ったテーマをダイジェスト版で整理し,地域の自然の特徴や形成過程についてまとめました.
実習は前年の七輪陶芸を受ける形で,本校の化学教員と理科実習助手の指導で身近な植物を材料に草木染めを実施しました.縄文時代から弥生時代への時間経過と人々の生活と自然の関わりの変化を意識したものです.
しかし,受講者の増加は,全員で共通の実習を行うことを困難にしました.そこで,並行開催の選択オプションを用意しました.ひとつは,普段何気なく見上げている崖や歩いている坂道を受講者自らの足で調べ,地形図に書き込むことで,台地と複雑に入り組んでいる谷の関係を復元する実習です.この実習は,3年生の地学の授業でも行われています.もうひとつは,特別展「里山の自然」を開催していた県立自然史博物館の見学と長瀞の結晶片岩の岩畳巡検をセットで実施し,広く埼玉県の地質と生態を理解する機会としました.
第6回(2004年度)「見沼たんぼの自然に学ぶ」
受講者数は、とうとう80名を越えました.
講座のメインテーマは,江戸幕府による新田開発に伴い埼玉県と群馬県の県境を流れる利根川から農業用水路として引かれた「見沼代用水」です.地質学的に見ると、江戸幕府の治水事業と農業政策は,埼玉県北東部の加須市辺りを沈降の中心とする関東造盆地運動の影響を受けていることが推測されました.江戸に幕府が開かれる以前,関東平野周辺の群馬県,栃木県,そして秩父の山地に源を発した河川が,埼玉県北東部の沈降の中心を通り,平野の東部に向かって流れ込んでいるように見えます.
江戸時代になると江戸の下町として発展し始めていた隅田川流域はしばしば洪水に見舞われました.この洪水対策と新田開発が,見沼代用水の開削へつながってゆきます.見沼代用水は,地域の自然や景観の形成と人々の生活が密接に関係している例として捉えることができま
す.
これに関連して,浦和西高の日本史の教員が中世から近世の地域文化について解説しました.また,これまで講座の受講者だった方が講師として参加し,斜面林に普通に見られるシュロの葉を使った昆虫作りを学びました.
本校の開放講座と受講者,地域住民の間に新しい関係が発生した年でもあります.
第7回(2005年度)「見沼たんぼの自然を学ぶ」
浦和西高校の立地する旧浦和市東部は、坂の多い街です.西高の建つ「大宮台地」と芝川のつくった低地「見沼たんぼ」は、十数万年のときの流れの中で、形成されてきた地形です.実際に街を歩き、坂の多さを実感しながら、その分布を調べることで、台地を刻む谷を描き出しました.また、見沼たんぼで手掘りのボーリングを実施し、たんぼの地下の地層を観察して、地層から産出するプランクトン化石の観察から、見沼たんぼの地下に隠された過去の海進の記録を読み解きました.
また、竹林を持つ地元の地主さんの協力を得て、「竹炭焼」に挑戦しました。かつて、管理の行き届いた斜面林や台地の上の雑木林のコナラやクヌギを活用して薪炭を作っていた時代を偲びました.
1月の最終回には、浦和西高校の「学校特色化事業」の概要について紹介するとともに、浦和西高校斜面林友の会々員と開放講座受講者の交流の場を設けました.この交流会は、西高の授業を基礎に展開される開放講座、開放講座から発展する地域ボランティアの斜面護活動、地域と連携した西高の特色化事業の繋がりを強く意識するものになりました.